少しまとまった休暇をもらえたので、折角だから遠出したいなということで青森県・恐山へと向かいました。
何故恐山? 何ででしょう。ともあれ惹かれるだけの理由は存分にあるかなとは思います。青森に行くのは初めてでしたが、恐山と言えば霊場なので失礼をかけることなどないようにしながら、周囲に青森出身の方がいたのでいくつかアドバイスをいただきながら、本州の最北・下北半島のむつ市へと赴きました。
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むつ市に到着してまず「おおっ!?」と驚いたことが、空気の重たさが全然違うこと。関東にいる時のあの、湿気の中を泳いでいる気持ちになる猛烈な湿度感が青森にはさっぱりなかったことです。今にも風に拐われていきそうな身の軽さ。土地が違うということを一瞬で実感する。
到着後は現地のレンタカーをお借りし、「みそ貝焼き」という郷土料理を食べに。
美味しかった。味付けに染めたりはせずまさしく素材を楽しむ味でした。
ホテルで一休みして、翌朝から恐山へと向かいはじめました。
5,6回くらい見た警報。どう注意するんです?
おお、ヨーロッパの写真みたいだ。
恐山とは比叡山、高野山とともに日本三大霊山に数えられる霊場。地元では「死者の魂は恐山さ行ぐ」と古くから信仰を集めてきました。仏教によれば死者の魂は、死出の山を越えて三途の川を渡り、次の世界へ向かうとされますが、まさに恐山では「三途の川」や「無限地獄」、「血の池地獄」、「極楽浜」などがあり、死後の世界を垣間見ることができます。
筆者も行く手前まで勘違いしていましたが、恐山とは一つの山の名前ではなく宇曽利山湖を囲う山々の呼び名なのだとのこと。いろんな説や逸話が取り巻く恐山ですが、この広大でやや色味がかった湖と立ち込める硫黄の匂いだけでもここは大昔から特別な場所であり続けているのだという説得力に圧倒されます。
恐山というビッグネームの下でなければ、その姿だけで一つの見どころとして自立できる湖です。…
湖のまわりを山々が囲んで盆地のようになっています。典型的なカルデラ地形です。「恐山の景観を生み出したのは、130万年前に始まった火山活動とその産物の一つであるカルデラ地形であった。(下北ジオパークガイドブック)」
こちらは死者の魂が、死出の山を越えて辿りつく「三途の川(葬頭河)」。冥界でみる三途の川は"川幅4000km"もある大きな川ですが、恐山では宇曽利山湖から流れる天津川が「三途の川」と称されています。この川は生前に犯した罪の重さによって渡る場所が決められ、橋や船を使って渡るもの、浅瀬を歩くもの、激流を泳がなければならないものがいると言われています。
こちらは三途の川を渡った先で待ち構える「奪衣婆」と「懸衣翁」。奪衣婆とは三途の川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた死者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼です。ここで剥ぎ取られた衣服は、懸衣翁という老爺によって衣領樹(えりょうじゅ)に掛けられ、枝の垂れ具合によって生前に犯した罪の重さを量られます。
奪衣婆が衣服を剥ぎ取るのは、生前への執念を落とし、心軽く浄土へ向かうためとも言われます。必ずしも怖いイメージだけではありませんが、この後に待ち構える「十王」の遣いとして恐ろしい表情をしています。
訪れて一発目に鬼の形相の石像。
私自身はあまり信心深い意識もなく、死後の世界や魂などもそんなに信じている性格でもないのですが、しかし人々が何にどのような想いを込めて霊性を象らせているのかといったことには十分に意義を感じるし出来るだけ大事にしたいなとも思います。
総門手前にある六大地蔵。死後に向かうと言われる六道の世界とは多くの善行を積んだ者がいく天道、己の本能や欲望のままに生きた者がいく鬼畜道、強い競争心や自尊心をもつ者がいく修羅道、自殺や殺人など悪行を積んだ者がいく地獄道、欲深く富や権力に執着した者がいく餓鬼道、そして人の道からなる6つの道を指します。
恐山に訪れると必ず見ることになる「風車」は、火山ガスなどによって供えることのできない線香や生花の代わりにお供えされています。
恐山の本尊・地蔵菩薩が祀られる恐山菩提寺。貞年4年(869年)、天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)によって開山されました。
筆者の地元にある太宰府天満宮の2倍以上はありそうな広さ。朝一で来たこともあってか他のお客さんもあまり見かけなかったため、厳粛ながらんとした空気が印象的でした。
菩提寺の外周へ
極楽浜とは、恐山と呼ばれる8つの外輪山の中央にできたカルデラ湖を指し、本来は"宇曽利山湖"と呼ばれます。…湖には動植物がほとんど生息しておらず、非常に澄んだ透明度を誇り、極楽浄土の美しさを表していますよ。
火山岩で形成された「地獄」。…辺りは荒涼としていて植物もほとんどなく、至るところから火山性ガスが噴出していて、まさに地獄のような景色が広がっています。
今も供養などのために遠路はるばるから恐山に来られる方も多いとのことです。
毎年夏に行われる例大祭には、家族の供養や"イタコに口寄せ"をしてもらうため全国から多く参拝者が訪れます。ハイライトは22日に行われる「山主上山式」。恐山を管理する円通寺の住職や僧侶、信者など数十人が"籠行列"を成し、三途の川から地蔵殿まで山主を運ぶ儀式で、厳かで見応えがあります。また期間中は仏降ろしの「イタコの口寄せ」が行われていて、亡き人と話すことができたり、未来を占ってもらうことができますよ。
(画像も先の紹介ホームページより)
筆者が訪れた際にはイタコの方々を目にすることはできませんでしたが、今も活動を続けておられるとのこと。
可能なら恐山とされる山にも登ってみたいなどとも思っていたのですが、敷地内に10ヶ所くらい「熊出没注意」の看板が立てられていたのでやめました (笑)。実際に登山家の方々のブログなどを覗いてまわっても本当にみんな熊に遭遇してるという。触らぬ神に祟りなし、これだよな。
きっと季節は勿論、天候や日の向きでもこの場所の見え方は大きく変わるのだろう。そう思わされるような空間でした。
(死別を巡る)様々な感情は、葬儀で全て掬(すく)い取れるものではありません。
その場合、遺族には抱えている感情の置き所のようなものが必要になります。死者と死に対する感情を開放する場所、それが霊場恐山なのだと思います。…
恐山のもう一つの重要な要素は「遠い」、ということにあります。青森県外から訪れる方は、特に遠いと感じていると思います。
実はこうした距離が大切なのです。恐山には、観光で訪れる方も多いのですが、もともと霊場とは、何らかの動機・覚悟を持って訪れる場です。また、霊場へと向かう長い移動時間は、死者への想いを抱える時間だと考えています。じっくり自分の悩みや感情と向き合うこと、そして、非日常の場にわざわざ訪れているという感覚が、訪れる人に何らかの答えを与えてくれます。
休憩所でいただいたお蕎麦。歯ごたえのある麺と野を感じるだし汁の味でした。
恐山でお買い上げしたいくつかの御守りや数珠などより。四つ葉のクローバーの御守りも見かけました。幽谷霧子の出身県なのに緒方智絵里とはこれいかに。
恐山に名残惜しさを感じつつも、午後からは南方へと2時間ほど車を走らせてもう一つの目的地へと向かいました。その場所は──
三沢市寺山修司記念館
唐突! いや、自分の身近に二十歳ちょっとにして寺山修司のオタクになっている者がいて、そいつに「絶対行ったほうがいいですよ!」と推しに推されて (笑)。
寺山修司、サブカル・アングラ史のパイオニア的立ち位置の人だという以上のことは自分はあまり知らないのですが(『田園に死す』はそいつの薦めで見ました)、自分的に身近なところでは大槻ケンヂやPlastic Tree辺りの元ネタを調べていた時にも先ずぶつかる名前だよなあと。あとSUGIZOも寺山修司のメモリアル企画に参加してたとか何とか。まあ、そいつのおかげでハマりかけてます。
シンプルにこれが入口なのかどうか分かんなかったんですよね。
その方面の人しか喜ばなさそうな顔出しパネル
館内には寺山修司の作品や氏に関わる書籍・映像作品などが大量に置かれており、図書館さながらに館内で手に取って過ごせる形になっているのが印象的でした。図書館のように過ごせる施設になっているのに、とてもちょいと寄れるとは言い難い場所にぽつんと建っているという (笑)。そのアンバランスさというか歪さがまたそれらしく思えるような。趣深い場所でした。
記念館の裏手には『市民の森』という森広場。
そして記念館の真隣にある三沢市歴史民俗資料館にも立ち寄らせていただきました。
遠くに訪れても資料館に展示されている土偶の形は同じなんだな。
3日目には帰路へと向かう前に、下北半島の三角形をぐるっと回ってみようかなと。
町と町とを大きな森や山と河が隔てている。少し足を伸ばせば超然とした自然が広がっている。大地という大地にコンクリートを敷き詰めたような都市部にはない魅力を感じます。
猿。半島の北西部の辺りだったか、車道の曲がり角に入ったら道のど真ん中に2匹のお猿さんが座り込んでいてめちゃくちゃびっくりしました (笑)。ガードレールに座ってこっちを眺めているお猿チームもいましたね。猿は静岡の伊豆でも何度か出会ったんだけど、本当に仕草が動物よりも人間っぽくて唸らされるんですよね、猿なので当たり前なのでしょうが。
仏ケ浦展望台
めちゃくちゃ山道ど真ん中の木と木の間から仏ケ浦が眺められるという。
海の先の北海道へと近づいていくように。
海辺にまでびっしりと盛り上がった森と山は、「ここからは入れないよ」という海側に対するメッセージであるかのようにも映る。九州側のほうが何かと「玄関口」とされてきたのも何だか分かるような気がする、かも(元々は何処だって森と山ばかりで今自分の目線がそう錯覚してしまうだけかもしれませんが)。
こゝ本州最北端の地
北海道は、弁天島の更に先にうっすらと見える影かな……遠いな。
本州最北端の地までやって来たのだなと思うと少し感慨深いところもありました。では南西側の先端はと考えたらお馴染みもお馴染み、九州とを繋ぐ山口県下関だと思うとそちらには何の感慨もありませんでしたが。知ってる場所すぎるのもな。
透き通るような海とはまさにこのこと。綺麗ですよ。
海辺の鮪を食べました。やっぱり最終的には魚が一番美味いんだなあ。
それでは、関東へと戻ります。行きも帰りも電車トラブルに遭遇してしまいましたが (笑)。今度は頑張って自分の車で行ってみようかなとも思いました。