10月初頭、沖縄へと行っておりました。十月の沖縄です。
沖縄は8年ほど前に一度行ったことがあるのですが、その時は那覇市くらいしか回れなかったのでちょっとしたリベンジも兼ねて。自分的には更に西の海へ渡っての宮古島や西表島にも行きたかったのですが、台風接近により今回も断念という形に……本島を十分に満喫しようという方向になりました。
うーん突然のザザ降り。
こちらは那覇空港のすぐ側にある瀬長島・ウミカジテラスの沖縄そば。前回沖縄に来たときに食べた沖縄そばが忘れられないくらいに美味しかったので(国際通りの辺りで食べたのだったかな)、今回も是非沖縄そばを召し上がっていこうと。
……ウミカジテラスの沖縄そばは、美味しかったのですが、お肉のダシのおかげかスープが九州のうどんみたいな味つけで。「こんな味だったか……?」「いや、もっとオンリーワンな味だったはずだ……」 ──空港や駅の周辺で栄えている観光料理は “本場” とは違う味付けであるというのは、筆者自身も地元のラーメンを通して体感してきたこと。ならば、本場の味を探しに行くのが挨拶というものでしょう。
美ら海水族館のシーサーたち。シーサーの姿の由来は狛犬などと同じく獅子なのだそうだけど、獅子伝承の更に大元はインドライオンから伝わってきているのではないかという話。そう言われるとちょっと伝言ゲームみたいで趣があります。
美ら海水族館。要塞みたいな造型ですよね。
眠りながら 記憶の僕 海の底に 沈んでくよ……
名護のホテルにて沖縄そばをまた一食。そこで食べた時に「あっこの味だ!」となり。独特のキレのあるスープに、ラーメンともうどんとも違う麺の口当たり。記憶の沖縄そばの味と再会する。
毎回見かけたら買い溜めするくらいにお気に入りな「島とうがらし(コーレーグス)」。唐辛子を泡盛に漬け込んだ液体香辛料とのことで、沖縄そばの独特の風味は実際このコーレーグスによるところが大きいんじゃないかというくらいスパイスのきいた香辛料です。あの味はこやつの力なのか……?
沖縄そば以外にも勿論地域料理をいただきました。美浜のアメリカンビレッジ近くにある「サバニ」というお魚料理屋さん。めちゃくちゃ美味しかったです。
こちらは島豚を使っている名護市の七輪・しゃぶしゃぶ屋さん。こちらも負けず劣らず美味しかった。ダンディな店長さんにエスコートしていただきました。
あくる日の夜明けの海より。筆者はこのくらいの空の色が一番好きです。ミウが聴きたくなる空だ。
本島西側から大橋を渡って古宇利島にも行きました。
沖縄本島周辺には、神の島と言われる場所が2つあり、ひとつは「琉球の創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めた」という琉球神話の聖地「久高島」、そしてもうひとつは沖縄版アダムとイブ伝説(人類創成神話)が伝わる「古宇利島」で、今帰仁村に属する「神の島」とも「恋の島」とも伝えられる島です。伝承によるとその昔、古宇利島に天から2人の男女が降りてきて、…海辺へ行きそこで生活をすることとし、海では魚や貝を獲って生活を始めました。そしてここで生活をしていくうちに海岸でジュゴンが交尾しているのを見た二人は、男女の交合を知ると同時に男女の違いを知り、2人の子孫が増えていき、琉球人の先祖となったという神話です。
「琉球版アダムとイヴ」と言われると途方もなく思えてきますが、古代に海から渡ってきた人類が最初に沖縄諸島に生活域をもった場所、と考えるとリアリティと遥かな時の流れが見えてくるような気もします。
そして名護市からレンタカーで1時間、那覇からなら2時間北へと走らせた先にある沖縄本島最北の辺戸岬へ。
那覇と同じ島の中とは思えない緑の生い茂った景色で、お食事処の店主さんは「こっちの方に来る人は滅多にいないよ」と話されていました。
奥に見えるそり立った山々は大石林山──聖地・安須杜(アシムイ)でしょうか。無念にも時間が押していて寄ることは叶いませんでした。
島建ての神、アマミキヨが降り立ち沖縄最初の聖地、安須杜を創ったという。
琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられる。
2億年前の石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山。
本島北部はヤンバルクイナの生息域でもあるとのこと。かなり可愛い。
そんな辺戸で静かに営まれていたお食事処にてまたまた沖縄そばを一食。おそらくこちらが最も観光地の色に染められていない沖縄そばだったのではないでしょうか。味はやや薄めだけど、しっかりニュアンスが伝わるような味わいでした。
この日はお昼に最北の辺戸まで来ていたのにそこから本島最南にある「ひめゆりの塔」まで一気に南下するという、本島南北を往復する無謀なコースを。
ネットでは「半日ちょっとあれば車で本島一周できる」とあったのですが、古宇利島に寄ったとはいえ普通に横断だけで丸一日かかりました。沖縄本島、広い。
沖縄県立博物館
沖縄と呼ばれる島々の、重く長い歴史が記されていました。
関東に帰ってもまだ沖縄そばとは何ぞやと考えていたので、お土産ものの麺も早くに食べてしまいました。うーんずっと食べていられる。
他の島々は勿論、本島だけでも全然「触れてまわった」とは言いきれないなと感じる数ヶ所だけの旅路になってしまいました。もっともっと沖縄という土地に触れてみたい、そんな未練と期待を残して。
◆ おまけ?
沖縄が舞台の映画と言えば? 一番ない回答として『リリイ・シュシュのすべて』。わざわざ沖縄で見ました(いや、それこそ仮に挙げるにしたって西表島なのだが)(他の見るつもりだった沖縄映画が配信していなかったので、つい)。
『リリイ・シュシュのすべて』という映画は近年になってParannoulやthe nevermindsといった海外シューゲイザー音楽グループ、或いは国内のシューゲイザーサウンド系のアイドルなどから謎の熱烈な支持を浴び、何故かちょっとシューゲイザー界隈の教典のような立ち位置になった気もする2001年の映画作品。筆者自身も指折りに大好きな映画ではあるのですが、一体何故この映画が今になってそれほどの扱いに至ったのだろうか。
思ったのは、「何一つ報われない少年少女たちが煌めいている映画だから」ではないかなと。本作は2000年頃当時の十代たちを取り巻くイジメ、暴力、売春、ネグレクト家庭、自殺、加虐や孤独、そしてインターネット掲示板への逃避などを大々的に落とし込んでおり、それ故に「鬱映画」という話題で語られることも多い作品。
しかし改めて見て思ったのが、この映画の中にいる誰もが最悪で破滅的で報われないのに、「悪意のある描き方」という印象は感じない作品だったかなと。コイツを悪人に描こう、あるいは悪徳こそ栄えとばかりに描いてやろうみたいなムードは実はない──ばかりか、破滅に向かっていく登場人物一人一人が必死にもがきながら生きている姿を煌めかしく描いているような。作品全体を取り巻いているのは実のところ悲観ではなく祈りであるかのような。そんな印象を受けました。
「シューゲイザーとは、矮小で報われないかもしれない全ての一生への祈りである」、勝手な解釈だけど筆者はわりと感覚的に同意できるテーゼかもしれません。
◆
もう一つ、ついでという流れでする話でもないですが。
早くも昨年10月から丸一年を迎えたようです。
──櫻井敦司とはどういう人だったの? という問いへの自分なりの回答の一つに、「日本一のゴシックロックアーティストだったと思う」という答えが浮かびます。
ゴシックとは何か、現代におけるゴシックの定義とは何なのか。正直なところを申せば自分から言い出したくせに不学ゆえとても語りきれません。音楽やアイテム諸々の話でゴシック趣味だよねともよく言わるのですが、その音楽にしたって超有名どころくらいしか聴いていないのです。
むしろ以前はかつてのゴスロリブームとかハロウィンパーティーみたいなノリとかにあまり馴染めなくて、自分は非ゴシック寄りな方だとも思っていました。
それでも「自分の中にあるゴシック像」を語ってみろと言われると、言葉にするなら “都市性や常識観の外側から這い出てくるもの” なのかなと。
それは例えれば偏狭にぽつんと立っている異質なものであったり、廃墟に立ちこめる霊性であったり、異郷のお祭りであったり、自分たちのルールが通用しない状況への不安や恐怖であったり、生と死から逸脱した何者かであったり……人の心の不安や暴走や臆病が「妖怪」という伝承となるのだろうということであったり。そして、個人の閉ざされた心内から生まれてくるものも。中央都市のルールに組み込まれなかったもの、或いは社会理念からはみ出してしまった者。その脆さや孤独さ。
それらを謳歌する器として、一つにゴシックというフィールドがあるのではないかなと。櫻井さんはまさしく人が持つ “個” や “孤” といったものを抱擁し、描き、美しく昇華させる『ゴシックの器』のような方でした。それが私が見ていたゴシック的なものの在り方でした。
話が遠くまで逸れてしまいましたが、筆者が遠征した時にあまり栄えていない方の風土などに触れてまわりたがるのは、そういう「勝手なゴシック観」に基づいての想いだったりもします、という話でした。まあ、単純に知らない場所に行って知らない世界に触れていたいってだけかもしれませんが (笑)。
お土産コーナーから連れて帰りました。夢を食いちぎるバクを狩って、この子にでも乗せてもらおうかな。