今のことしか書かないで

 

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大槻ケンヂの最新書籍『今のことしか書かないで』を読みました。

『ぴあ』に掲載されていた連載作品の書籍版。内容は “限りなくエッセイに近い幻想私小説” ということで、普通に彼の音楽活動を中心とした近況エッセイだと思っていたら「絶対にないだろ」というSF・ファンタジー展開に飛んでいったりしてどこまでが本当か分からなくなる、オーケンらしいさみしくも優しい創作にまみれた面白い一冊でした。表紙のデザインも好き。

 

今のことしか書かない──「文字通り、ここ2週間内に起こった個人的なトピックを綴っていく」という形で進んでいった当連載。人が年齢を重ねていけば、仮に過去の栄光に縋らなくとも必然的に「昔話」のストックの方が増えていくわけで、楽しかった記憶も多くなっていくわけで、しかしそれに頼らずに今のことに絞った(勿論その流れで昔話に入ることもあるけど)話題を展開されていました。

「大きな事件のある二週間もあれば、取り立ててなにも起きない二週間もあるだろう。でもそれが我が日々だ。仕方がない。」 それを面白おかしく書ききる流石の手腕と、オーケンなりの今を生きる心構えを感じとれる一冊でした。

 

 

さらば桃子 (2024ver.)

さらば桃子 (2024ver.)

 

 

 

 

 

私のここ一週間もまたまさに「取り立ててなにも起きない」日常だったわけですが (笑)。遊んでいた『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』がもうすぐエンディングに向かいそうということくらいか。


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ゼルダの前作『ティアキン』で見せた多角的で選択肢の広い冒険手段を「2Dゼルダ」に落とし込んでおり、従来さと新鮮さが混じった作品で流石の楽しさでした。フィギュアのようなデザインも可愛らしいですね。

作品のどこで “新しい遊び” を体感させるのかが実にはっきりしているつくりが素晴らしいし、任天堂だなあと思いました。先日何となく任天堂のかつての社長・山内溥(組長)について調べていたら、氏の「新しい商品は新しい遊びであるべきだ」という哲学、 “何をつくって持っていっても、(山内に)「それはよそのとどう違うんだ」と聞かれるわけです。「いや、違わないけど、ちょっといいんです」というのは一番だめな答えで、それではものすごく怒られる”という話を見て、色々と頷くものもあったり。「同じ軸で力の勝負をすると疲れますし、勝っても勝ち続けることはできませんので」とはそれに続く岩田さんの言葉。

また山内組長もあまりシリーズ作品形態をよく思っていなかったという話を見て、やはりそうなるよねという同感と、その中でゼルダは本当に歩み方が上手いなという感心も覚えるものでした。

 

 

 

 

 

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dansa med digの1st.フルアルバムをようやく拝聴。これまでも結構数の音源を配信していたので、それの延長線やまとめみたいな感じなのかななどと思いながら開けてみましたが、それは侮っていました。

溶けていくようなドリーミーさに迫力と心地良さを兼ね合わせたリズム、幻想を肌に降らせるようなアルペジオの旋律。やはり彼女らは素晴らしかった。現在は上の一曲だけがサブスク配信されているようです。

 

 

あとWispも今更ながら聴きました。

 

シューゲイザーばかり聴いていてお腹いっぱいにならないのか? と我ながら思わなくもないのですが、案外ならないのでやっぱり単純に好きなんでしょう。一口にシューゲイザーばかりと言っても、彼女のアルバム一枚とっても一曲一曲で違う音色やアプローチを取り入れてるな、とも思うのですが、関心の問題かなという気もします(筆者がメタルの分野を全然聴かないのは「正直全部同じに聴こえるから」なのですが、それと同じことかもしれないし、みたいな)。

 

 

あ、あとHello1103も良かった。

 

ライヴで浴びたら気持ち良さそうですね。

 

 

 

 

 

LUNA SEAというバンドについて思うことを少し。

 

完全無欠のレジェンドバンドのように扱われる(或いは振る舞っている)彼らですが、私が思うにはあんな変な道筋ばっかり辿っているバンドもいないだろうくらいにも思えるのです。おそらく過去も現在もずっと変な衝突ばかりしているバンド史だった。

そもそも最古参の方に言わせれば「インディーズからメジャーに上がった時点で一気にポップになった」とも言われ、その次が更にEDEN、そこからいきなりバンドのイメージを変えてMOTHERになり、上昇のさなかにあって解散を予感したとまで言わしめたSTYLEへと行き、SHINEでまた怒涛のイメージチェンジ、その混乱と眩しさを抱えたまま2000年に終幕。そしてREBOOTしてからの3作も、バンド衝動さながらに仕上げたA WILLからの2作は新しいLUNA SEAを創らなければいけないという決意に躍起になっていたのではないかと思う。Steveが語る「“そもそも何故このバンドを始めたのか” を、もう一度呼び覚まそう」という言葉に集約されるように。

 

誤解を恐れずに言えば何とも行き当たりばったりみたいなバンド史だと思う(その過程のどの作品でも良いものを作っていたのは言うまでもないが)実はドーム対バンの報を受けてからGLAYのアルバムを一枚ずつ聴いていっているのですが、彼らGLAYの(特に90年代フィーバーからの脱皮に端的な)堅実さ、またはBUCK-TICKという理想的先輩の間違いなさと照らし合わせるとLUNA SEAは嘘みたいにずっとドタバタしている。そんな彼らが、絶大な当時評と後世評、そして同業の先輩後輩からの熱すぎる愛を一身に浴びているというのが、本当に面白くて興味深くてしょうがない、そんな奇跡のバンドだと思う。

彼らは常に性急で慟哭的で、「そうはならんやろ」の繰り返しのなかでしかし求心力に満ち満ちたバンドだった。そのありえなさ、歪さの中にこそ彼らの一番の魅力がずっとあるんだろうなと。

 

 

 

 

結局昔の話も挟んでしまいましたが、「今のことしか書かないで」。

 

先の休日、夕方の高速道路を西に向かって走っていくと沈んでいく太陽の黄金色に景色が染められていって、なんとなくギルガメシュ叙事詩の一節を思い出した。私は叙事詩の登場人物ではなく今を生きる人間なので、酒屋の女将さんとお話ししたあとは明日に備えて家に帰りました。