
十代の頃、私はバッツみたいな人になりたかった。FF5原作のバッツに。

……いろいろとツッコミどころの多い表明である。そもそもスーファミ世代なの? っていわれるとむしろ十代の頃に初代ディシディアが出たくらい。じゃあディシディアの印象のほうが強いだろ。いや、ディシディア以前から遊んでいた原作のほうなのです。
その上でにしても何でバッツ? という話かもしれないが、要は「爽やかで、さっぱりしていて、暑苦しくないけど常に前に向かっている人」になりたかったのだ。その中でもザックスほどヒロイックでもなく、ティーダほど声がでかくもなく、かと言ってセシルらほど堅物でもない、そんな感じ。
ゴリゴリに世代が出ているが丁度FF5にハマっていた頃に「のだめカンタービレ」が流行っていたので、そちらと重ねて三次元としては玉木宏の顔と雰囲気になりたかったと言えば伝わるだろうか。そらなりてえわ。
バッツ(三次元のイメージ)
当時の玉木宏は俺が俺がってしてなくても涼しい顔で立っているだけで絵になる男の代表だった。

『FF5』のストーリーは、「明るいようで実はネームドキャラの死者数がFFシリーズの中でもきわめて多い」とよく指摘される。結構ハードな展開をバッツのお調子者っぽいノリでごまかしている、とも(言うほどバッツ一人だけか?)。
実際、FF5はたくさんの仲間の墓標をこえて進んでいくストーリーだ。世界を司るクリスタルはすべて破壊され、暗黒魔道士エクスデスの凶行を止めるために多くの人々が犠牲になり、終盤にはバッツとヒロイン・レナそれぞれの故郷までもが(最終的には蘇るとはいえ)葬られていく。ただエクスデスを倒し世界の再生を願うしか希望はなかった。
いや、「希望とか苦しみや後悔を口にする間もなく走り続けるしかない道のりだった」というほうが近しいと思う。スーファミ初期のタイトルであるFF5は人物描写もそこそこに物語がどんどん進んでいく。以前「3つの世界地図をまたたく間に塗りつぶしていくゲーム」と評したことがあるが(その圧倒的なテンポのよさ!)、それだけあっという間のスピード感でエクスデス打倒まで駆け抜けていく物語なのだとも言えよう。

そんなヘヴィな道のりであっても、FF5は「明るいFF」と評されている。それは今作における植松伸夫が目指したBGMの力であったり、コスプレみたいなジョブデザインのイメージであったりもするだろう。だがそれと共に、その「休む間もない旅路」を「本当に休まず歩みつづけた」のがバッツ達だった。切迫する物語のなかでも笑いや冗談を欠かすこともなく、しかし彼らこそが誰よりも真っすぐにエクスデスと戦いつづけ世界を取り戻したのだ。
バッツは子どもっぽいイタズラやリアクションがよく取り上げられるが、それはあくまで旅のさなかのユーモアであり、ストーリー主題における彼は真剣どころか一度も立ち止まることなくエクスデスの脅威に挑みつづけた英雄であったことを何よりも前に置いておきたい。その姿に厚かましさや暑苦しさが一つもないところが彼の魅力なのだというところも。まるで肩で息切らして勇んでいるふうには見えないが、結果的には誰よりもやるべきことを最先頭でやっているヤツ。そういうヤツが主人公だからこそ、『FF5』は「明るいFF」であれたのだと。私はそういう者になりたかった。
あ、勝手に店番やって怒られるけど「折角だから」とアイテムを貰えるミニイベント、登場人物の誰も憎めなくて好き。

筆者がFF5で一番好きなシーンが、ラストバトル前、これから最終決戦だというその時に かの爽やかな『ファイナルファンタジー V メインテーマ』が流れるシーン。前作FF4のような肩に力入りまくった熱さとは違う(もちろんあちらも超王道で素晴らしいんだけども)、“ナチュラルなポジティヴさ” を決して失うことなく自分自身で進んでいく感じ。「強くあろうとする」のではなく、「人は誰しも強さを宿しているんだよ」と伝えるかのような。まさしく「これがFF5のスタイルです」と言わんばかりの名曲演出だと思う。
というか「バッツが好き」「バッツみたいになりたい」というのは7割くらい「FF5メインテーマが大好きで、この曲が似合う者でありたいんです」とイコールだなと思う。自分のなかでは。
まあ今はどちらかと言うと『カオスの神殿』になりたいけど。

あー、そんなこんなでディシディア的に「指折り好きな主人公」を選ぶならば、自分は特段というところでWOLとバッツを選びたい。そしてこの2人は、自分のなかでは「ネガティヴな曇りのない、無謬の光」という点でチョイスが繋がっているなと思う。まさしくリーダーらしい硬い意志力で突っ切っていくWOLと、対照にその自由で屈託のなさを何人にも潰すことができないバッツ。ブレない2人。まあその人の捉え方次第だと思うけど笑。

後続のシリーズで最もバッツと性質が近しいと思っているのは『FF零式』のエース。それこそ(プレイ感としてはFF5よりずっと)重苦しい展開のなかを、挫けることなく落ち着いてチームを牽引しつづけたおっとり爽やか青年。そしてチョコボ愛好家同士だな。

あとバッツが好きな人はロマサガならジャミルが好き。ソースは俺。
「道具だってな、使い方一つで色んな事が出来るんだよ。お前を倒す事だってな!」(妙な縛りプレイによるジョブアビリティでラスボスを殴りながら)
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最近『新テニスの王子様』が完結を迎えたということで旧作のテニプリから読みはじめてる。追えてなかったからあまり言ってないけど結構好きなんです。
で、とりあえず氷帝戦(18巻)まで読もうと思ったら本当に面白くて一気に読んでしまった! 今でこそ「テニヌ」とか「女性読者向け」とか言われてるけど、その当時は大量のテニス少年を生み出した社会現象的大ヒットマンガだもんな〜。
しかしその面白さの正体は何と言えばいいだろう? はっきり言ってテニス対決の内容や密度が完成されているというタイプではないと思うし(各々の必殺技は魅力的だけれど)、ストーリーも一直線に青学テニス部入部から全国大会優勝まで駆け上がっていくものだ。むしろ変に立ち止まったり間延びさせたりしない疾走感で読ませるものだと思う。ん?
その「テニヌ」と呼ばれるシュールさやギャグさもめちゃくちゃ大好きなんだけど、何よりもそれ以前のところで「根っこのストーリー軸は全然ブレていないし、テニス自身に対して誰も腐ることなく前を向いている」のが絶対的な魅力なんだなと 再読するなかで改めて気づかされていた。んん?
そういう意味で芯はしっかり熱血スポーツ漫画しているし、しかしそれを暑苦しく見せない爽やかさやギャグっぽさで愉快にコーティングされているのがテニプリなんだなと。おやおや〜?



これFINAL FANTASYだろ。
いやまあ「FFとテニプリは似ているか?」って言ったら多分両方分かる人なら誰もが「似てるというよりほぼ同じセンスで作られているもの」と答えるんじゃないかと思うのだけれど……
閑話休題。特に「まだ一応真面目にテニスやってた頃」と言われる初期テニプリから感じた心地良さは、一言でいうなら「自分がバッツから感じていた爽快感」と近しいものだったのかもしれない。爽やかで、簡潔で、一方でシュールなほど愉快で、しかし芯はまるでネガティヴに溺れることなくしっかりしている。それがテニプリの満足度の正体なんだなと。


まあ「爽やかで簡潔なテイスト」に対して「バトルは歴代で一番と言えるほど練り上げられている」のがFF5なんだけれどもね。
ちなみに筆者がテニプリで特に好きなキャラは──


伊武と海堂です。ねっちょりしてる奴ら筆頭だろ。
そういう奴らでも濁りがないのがテニプリの魅力なんだよ……
あと筆者はリョ桜至上主義でバツレナ至上主義です(宣戦布告)。王道しか勝たん。
◆
テニプリ面白かったからそんな話でもしようかな〜、というかもうすぐデュエルムにバッツ来そうだな〜、とか考えていたらこんな雑記になってしまった。
しかしまあ、FFとテニプリの極度の親和性にも気づいてしまったし、十代の頃ちょっとした憧れであった懐かしの玉木宏も、そのどちらにいてもおかしくない素敵なイケメンであったということだろう。うーん。
世代やな……
























































































