年末まで更新する話題もないだろうと思ってたのですが、結構間が開いちゃうので、まったくしょうもない小話でも。
しばらく前から「シャニソン」をやっています。
と言っても大元の「シャニマス」はもういいかなってやっていないし(自分がいると邪魔なんだろうな、というのも感じていたし。それは僻みではなく自戒です)、今更我こそはメインユーザーみたいな顔して語れることなんか何もないのですが。
にちかがどうなっているかだけは何となく気になったので(あとちょっとだけ話題になったゲームシステムも)、まあ数あるアプリゲームの一つくらいには触っておこうかなと。
……で、『L'Arc~en~Cielの『True』というアルバムを聴くと七草にちかのことを考える』という怪文みたいなページに至ると (笑)。ありし頃からなんにも成長してないなこれ。
七草にちかというゲームの中の少女──彼女の説明みたいなことは公式か誰かに任せるとして、作品から距離を置きつつも「ちゃんと幸せになってんのかな」とか、「あれから成長してるのかな」とか、「私のアイマス観の終点を用意するならやっぱりにちかなんだろうな」とか、「ちゃんと朝ごはん食えよ」とか、離れたなりにやっぱりちょっと気にはなってたんですね。
まあそんな感じでシャニソンを触りつつ、たまたまラルクの昔のアルバムを久々に聴いていたら「ああ、このアルバムにちかっぽいよなあ」などと思ったという。自分でも何言ってんだコイツって感じです。しかも「このくだり前にもやったな」ということをマジで書いている途中まで忘れていたという。2回もこんなもの書いてどうすんだって話ですが、まあ湧き出てきたものは仕方がない。一つのお化粧あそびだと思って、もう一度ラルクの『True』を流していきましょう! ゴー。
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1. Fare Well
今は帰らない景色、諦め、或いはささやかでひたむきな願い。そんなところからこのアルバムは始まる。丁度この風の冷たい夜が似合うように。
お馴染みの背景画像はどこにいったか分からなくなったらしい。
たとえ何も無くても この手広げてゆくよ
あぁ… 空を駆け巡る あの鳥のように強かったなら
そして今現在へとフラッシュバックしていくように、2曲目へと流れこんでいく。
2. Caress of Venus
軽薄ふうでオシャレ気取ってるようなリズムがにちかに似合っている。というかにちかのソロ曲は一つにはこういう曲をイメージしていました。実際に与えられたソロ曲『フェアリー・ガール』もまあまあイメージ通り……いや軽薄ではなかったな。ともあれにちかの「ガワ」のイメージソング。「君をキレイなあの場所へ 連れて行けたら素敵だね」
3. Round and Round
「痛みを知らない大人(子ども)は嫌い 頭をぶつけるまで傷付けるから」 このフレーズから始まる「論客かぶれみたいなパンキッシュ」が実ににちかっぽい。そう言語化すると結構 “今” な曲だなあ。僕らを乗せてRound and Round Merry-Go-Round。この辺りでなるほどと気づいたが、このアルバムから伝わるにちかっぽさとは「おしゃれに着飾った青いひねくれさ」なのだな。
ここまでの各曲でにちかの「あらすじ」「ガワ」「普段のキャラ」と流れてきて、次ある曲までで彼女の輪郭を証明させていく。
4. flower
午後の光にまだ 僕は眠ってる
想いどおりにならないシナリオは
とまどいばかりだけど
いくつもの種をあの丘へ浮かべて
きれいな花を敷きつめてあげる
早く 見つけて 見つけて ここにいるから
起こされるのを待ってるのに
いつでも君の笑顔に揺れて
太陽のように強く咲いていたい
胸が 痛くて 痛くて 壊れそうだから
かなわぬ想いなら せめて──
5. "good-morning Hide"
なんでしょう、ルカとの対決の曲かな (笑)。画像はたまたま撮れて面白かっただけで特に意味はないです。
6. the Fourth Avenue Cafe
上手くいかない日常や、もうどうしたらいいのか分からなくなった時。まるでカフェの窓から外行く雑踏を覗いているかのようにミス・マッチな感情。
ちなみにこの曲は元々るろうに剣心の旧アニメに使われる予定だったそうな。世界観も文脈も一切関係なくぶっこんでいる感じに励まされますね。どちらかと言うとドラマのEDの引きっぽい曲だなとも思うので、そういうイメージを乗せて。
7. Lies and Truth ("True" Mix)
ある意味シャニマス全体の命題かなと。君が見えなくて見えなくて。
まったく関係のない余談ですが、筆者は「極限状態でいま誰が誰を好きで誰に心移りしているか分からない、男女複数全員が探りあい思いあい実り裏切られあうサスペンス型恋愛アドベンチャーゲームを作りたい」という夢想をよくするのですが、この曲がそれのほぼメイン・イメージだったりします。おそらくシャニマスとは真逆の方向へ心が抉られる作品を。抉られるのは、誰の気持ちも全部嘘っぽくて、そのどれもが真実で、どれもが “本当” は祝福されるべきだから。もし出来たらにちかにも遊んでほしい(出来ません)。
8. 風にきえないで ("True" Mix)
もういいよ もういいよ I'm always knocking on your door…
このワンフレーズに尽きるかな。
9. I Wish
ラスト手前のウィッシュフルなクリスマスソング。そう、クリスマスの歌だ。姉が大っ嫌いな、憧れを終わらせた、にちか本人にはきっと関係ないのにたくさんの過去がのしかかっているクリスマス。
そんな聖なる夜ににちかこそが祝福を受けるのか、それともにちかこそが祝福を届けるのか。
“Ring bell through the window, I wish you smile for me, sing song altogether, ”
いつまでもいつまでも幸せでありますように
10. Dearest Love
そしてすべての夢が終わって、天へと連れ去られていく。クリスマスの夢も何もかも。風がとても冷たい冬の夜、私達はまた奈落へと歩いて行く。
この悲劇的にドラマチックなバラードをもってアルバム『True』は終わり。なのだが、他のアルバムラスト曲『Pieces』の方が綺麗に纏まるなあなどとも思う。というわけで
ark end. Pieces
泣かないで 泣かないで 大切な瞳よ
悲しさにつまずいても真実を見ていてね
そのままのあなたでいて
いつまでも見守ってあげたいけど もう大丈夫
優しいその手を 待ってる人がいるから 顔を上げて
両手にあふれそうな想い出たち
枯れないように ゆっくり明日をたずねてゆくから
私のかけらよ 力強くはばたいてゆけ
振り返らないで 広い海を越えて
草々。
余談というかついでのような話題なのですが、いろんな昨今の作品をちら見しているなかでふと「昨今の『少年少女が苦しみながら葛藤していくタイプの作品』って、周囲の大人たちの何もしていなさが目立ってしまっているところがないかな?」と思ったりもしまして。
単に自分がそちら側に近づいちゃっただけかなとも思うし、ネットなどがない時代に比べたらおそらく所謂「子どもだけの隔絶された環境」みたいなものが減っている所以かな、などとも考える。大人たちが十代の世界に介入することが多くなったけど、その形の出来上がってなさが現れているんじゃないか、とか。
──例えば昔の映画の『リリィ・シュシュのすべて』なんかは、時代描写も含めて今見ても誰も止められなかった悲劇だろうと感じるし(登場する学校の先生や親御さんとかにもリアリスティックな「これ以上は無理でしょ」という説得力がある)、ちょっと前に映画版を見た『悪童日記』はまさに「子どもたちが、大人たちや政治・社会に振り回されながらも強く悲しく成長してしまう話」として完成的でした(原作小説も10代の頃に読んでいました)。その辺りからは感じない歪さが昨今の作品には見られるような印象もあります。まあ、思いつきのような話なんですが。
ともあれ、もうすぐクリスマス。もう過去の幻からの、ささやかなクリスマスアルバムでした。
あと、これは消さずに残してあった「にちかプレイリスト」に入っていた、私からの真メインテーマのような一曲。