私が愛する90年代ゆかりの邦楽ミュージシャンたち20組

 

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私が聴き続けてきた音楽と、そのミュージシャン達の、これまでとこれからへ

 

 

 

2023年も終わりが近づき──と言ってしまいたいけれど、今後もこの「2023年」という数字は鼻につくほど目にする数字になるのでしょう。

櫻井敦司やHEATH、hide達が若き日々を駆け抜けた1990年代。筆者自身はその時代が直撃世代というわけでもなく、2000年に入った後にようやく年齢が2桁になったかというくらいには離れていたのだけど、しかしその後私の日々を彩り続けた多くの音楽はこの「90年代邦楽」と括られる時代を駆け抜けたミュージシャン達だったと思います。

ここでもう一度、自分が聴き続けてきた音楽とミュージシャン達をしっかり記しておきたい。それは過去を振り返るためではなく、旅立った方々と、そして今でも音を鳴らし続けている方々へと向き合う姿勢を整えるために。そして、やはり彼らの音楽が一人でも多くの人達に届いてほしいから。

 

 

このページの性質としては「90年代偉大な邦楽ロックバンド・ミュージシャン名鑑」のようなものになると思います。が、各グループとメンバーの別ワークとを分けなければ15組くらい(被りを含めて20組)しか紹介していません。筆者自身の力量としてそんな大風呂敷は広げられないというのもあるし、何より本当に自分が愛情や敬いを強くもっているミュージシャン達でまとめたかったから。その為に書き始めたものだからです。

 

最高の音を鳴らしているミュージシャン達に、最大限の敬愛を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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BUCK-TICK

 

生涯現役。国内の耽美なロック、ゴシックの代表格、デジタル・ロック、インダストリアル・ロック、そして後のV系シーンの先駆者。怒涛の変化と発展を繰り返してきた驚異的な歩みと、一方で揺るぎない愛と死と未来志向を奏でるバンドグルーヴ。筆者のベスト・フェイバリット・バンド。

端くれながらも15年以上はBUCK-TICKを追いかけてきて改めてこのバンドを説明することほど難しいものはないのだが、やはり私が彼らの音楽に惹かれていった原点はその「馴染みのよさ」にあったと思う。それは厚かましい賑やかさに頼らないクールなメロディラインであったり、穏やかな心地よさと荒々しさが共存したノイズサウンドであったり、そして虚無感・空白感を感じさせながらも真摯に前を向いているような歌詞であったり。BUCK-TICKの音楽を最初に手にした時、新しい!衝撃!という以上に、「一番求めていたものそのままがここにあった」というような感触があった。

当然新しい楽曲のインパクトに驚かされることもたくさんあったはずだけれど、しかし本質的には「いつまでも私の居心地の悪さに席を置いてくれる」ような音楽であり続けたのだと思う。これまでも、これからも。

 

 

このページで紹介しているグループの中ではバンドとメンバー個人活動の双方を挙げているグループもあるのだが、BUCK-TICKは全部挙げていたらキリがないしと割愛しました。しかしBUCK-TICKメンバーの別ワークはどれもバンドに負けず劣らずな傑作たちを輩出しているので、第二のBUCK-TICK名盤集だと思って聴いてみてほしい。こちらは櫻井さんとRaymond Wattsの熱い友情に寄せて。

 

 

 

 

 

 

 

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大槻ケンヂ  (筋肉少女帯、 特撮)

 

ガチガチのメタルに奇妙な歌声とサブカル詩文学すぎる歌詞を乗せて大ヒットした筋肉少女帯。そしてその停止時代にスピードメタル・シューゲイザーの士・NARASAKI達と合流し、より多彩な、しかしやっぱりオーケンらしい詩を歌っていた特撮の大槻ケンヂ。その歌詞世界やキャラクター性は90年代のありとあらゆるサブカルチャー作品に引用・モチーフされ、その圧倒的な影響力に唸らされるほど。現在は両バンドともにほぼ並行して活動している様子。

なんといってもその、人の傷口や後ろ暗さをリリカルかつファンタジックに綴った歌詞に定評がある。が、私はオーケンの歌詞の真髄とは「そんな弱い人の心を、弱き人なりに懸命に救い出そうとする」ようなテーゼにあると思う。

92年の筋少『生きてあげようかな』の歌詞は当時付き合っていたリストカット癖のある彼女を止めるために書いたという話は有名だが、その後の『小さな恋のメロディ』や『僕の歌を総て君にやる』など、そして特撮の曲に至るまであらゆる楽曲にも同様のテーマが貫かれていると思う。その救おうとする男とやらの、下世話さや滑稽さ、独占欲っぽいところまで含めて。

私はそういったオーケンの歌詞性に深い信頼を置いているし、もっと言えば十代の頃にかなり強い感銘を受けたと思う。“龍コインロッカーベイビーズ  読み捨てたマリー” の一文はそのもの私の体験のようであり、またその歌詞は知っている誰かのようだった。

 

そして今オーケンの詩はこうも歌う。『終わりが見えないってのはウソさベイビー 終わりはわかってるみんないつか死ぬ オチまでバレてる世界でどう生きる』。香菜、生きることに君がおびえぬように、明日君を名画座に連れていこう。

 

 

 

 

 

 

 

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SOFT BALLET

 

BUCK-TICKと共に時代の先端を突き進んでいたといわれるEDM、ニューウェーブ、インダストリアルの使者。

筆者はたしかメンバー・藤井麻輝の別活動であるSCHAFT〜睡蓮経由からこのバンドに出会ったのだと思うが、森岡賢作曲の『TWIST OF LOVE』のサイケデリックながらも優美な旋律(と迷MV)で一発で惹き込まれたのをよく憶えている。

後の後続たちから(エレクトロやノイズサウンド方面は勿論、その外側に位置するようなバンド・グループからも)度々リスペクトや影響元として名が上げられる、まさに伝説のバンド。

再度の復活を望む声は多かったと思うが、ボーカルの遠藤遼一は00年代後半頃より公での活動を停止、2016年に多くの代表曲を生み出していた森岡賢が他界、そして2022年にもう一方の破壊的コンポーサー・藤井麻輝がソロでのラストライヴを行って活動停止。改めて、この強烈な個性派トリオの誰が欠けても全く成立しないグループだった。

 

 

 

 

 

 

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藤井麻輝  (睡蓮(SUILEN)、minus(-)

 

そのSOFT BALLETが解散した後の、藤井麻輝の活動から主要なものから。フジマキ流のエレクトロ・アンビエント・インダストリアル・ドローンなどを用いたサウンドに、和なイメージの旋律と芍薬の歌声が乗る睡蓮(SUILEN)。そして盟友森岡賢と合流し2010年代以降に活動したエレクトロユニットminus(-)

あまり話題に挙げないかもしれないが筆者はこの睡蓮の音楽がとても大好き。破壊的なインダストリアルで知られる藤井麻輝だが、スローでしっとりと没入できる音楽にもまた彼の真髄はあったのではないかと思う。何より、ここまで心地のよいノイズ・アンビエントサウンドは未だ私は他に知らない。……そのライヴは何処よりも破壊的な轟音だったが。

 

そして誠に勝手なことを書くと、私はフジマキの、頑固で偏屈だけど仲間内ではフランクで、攻撃的だけど周囲や世相への繊細さが垣間見えてて、無愛想だけど最後は彼こそが全部を担いでいった、そんな彼の “キャラ” が好きだったなあなどと思う。またひょっこり音楽を再開してくれる時を切に願っている。

 

 

 

 

 

 

 

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X JAPAN

 

大体紅とForever LoveとRusty Nail、あとはXジャンプの曲辺りでお馴染み。そういう印象で間違いないと思います(HIDEの名アルバム曲たちを除いては)。

時代が過ぎるほど、或いは彼らが伝説上の存在になるほど、Xとは何が凄かったのかという話は伝わりづらくなっているんじゃないかとも思う。──私は「誰それが時代を変えた」みたいな話がある時、大きくは「それまでの時代性を壊した話」と「新たな時代感覚を決定させた話」に分かれると思っていて。LUNA SEA黒夢ラルクらが後者側とするならばその前の前者に近いのがXではないか。圧倒的なパワーとインパクトとカルチャー性でそれまでのメジャーロックシーンを破壊して後続たちの通り道を開けていった存在が彼らなのだろう。

その在り方は例えば、バンドと親交の深い市川哲史が語る「(XとLUNA SEAそれぞれの復活ライヴの)音楽的完成度を較べると、LUNA SEAの方がもう圧倒的に素晴らしかったわけ。」「ただしどんなにLUNA SEAの方が完成度が高くてちゃんとしていても、残念ながらXの方が観てて面白いんだよねこれが。」「いつ何が起こるかわからない〈非常識エンタテインメント〉には勝てないよ」という評価に象徴されている気もする。

そんなXも厳しいバンド状況に置かれているらしいが(大昔からずっと厳しいままだろうとも思うが)、ともあれHEATHの逝去という決定的な節目に対しては、それまで彼と共に完成させた楽曲群はちゃんと聴ける形にしておいてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

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◆ hide

 

上の曲は何にしようか迷ったんですけれど、「いつになってもカッコイイ」と言われ続けるhideの、「本当にルックス含めて今見てもカッコイイしたぶん今出ても人気取れそうだな……」と思ってしまう『ROCKET DIVE』のMVにしました。

hideの音楽は〜……と改めて述べるのも如何なものか。ポップスからインダストリアルまで縦横無尽かつエネルギッシュに駆け回った彼の音楽を、どんなものかなと耳にしていただくだけでもいい。ただ幅広いだけでなく、「実験的」という名の「粗さ」も感じさせない、時代にさらされないポップセンスと独自に磨き上げられた音がそこにあるはずだと思う。

何を隠そう筆者をこういった音楽に突き落としたきっかけ、原点、最初のスタート地点が中学生の頃に聴いたhideのベスト盤だった。永遠のカリスマ。

 

彼の音楽がいつまでも風化せず愛され続ける所以はその先見性の高さや表現スキルの豊かさ、驚異的すぎるアクティビティと実績によるところが高いとは常々言われるが、一方で彼が絶対に「世の音楽キッズ──少年松本秀人のためのロック」であることを徹底していたからこそじゃないかと思う。彼の音楽は常に何も知らない少年少女たちをも力強く引っ張ることを意識して鳴らされていた。そんなスタンスが、彼の精巧ながらパワフルな楽曲たちにも現れていただろうとも思う。そしてロックミュージシャンとしての佇まいやあり方──『MISERY』を巡る逸話や、X解散からすぐさま『ROCKET DIVE』たちでファンと自分自身を引っ張っていこうとした姿勢そのものが、永遠にカッコよく、誰もが彼を忘れることができないのだろう。

また、こうして色んなグループを並べてみるからこそ、やはりhideは「ポップ」であることを大切にしていた。ポップな音楽といえば薄い、大したことないみたいな歪なイメージがつきまとうことも今なお多いと思うが、hide(や今井さんたち)からは「ポップとは、そういう評論家様からロックに初めて触れる少年少女まで全員まとめて引っぱり抜く力だ」という確信が伝わってくる気がする。

 

日本の神奈川県横須賀市からやって来た最高のロック・スター。彼がいない時代から彼のファンになった私だからこそ、大いに言っていきたい。彼こそが永遠だ。

 

Fuctrack#6

Fuctrack#6

 

 

 

 

 

 

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上田剛士  (THE MAD CAPSULE MARKETS、AA=)

 

今井寿藤井麻輝らに続く国内デジタル・ロック、インダストリアル・ロックの人であり、また後にミクスチャー・ロックと呼ばれていく音楽の先駆者とも呼ばれる。MAD終結後のソロ・プロジェクトAA=ではより実験性とインダストリアルサウンドを前面にして活動中。他にはBABYMETALにかの『ギミチョコ』を提供したり、アニメの劇伴や妙なソシャゲ等への楽曲提供をしたりと意外な方面から名前を見ることも。

一応なりともインダストリアル・ロックと呼ばれるものをたまに漁ったりもするのだが(そんなに聴いてないけど)、その毛色の中でも一発で「これだ!」と惹かれたのがAA=だったと思う。本流であるミニストリーやNINからしたらポップというかカラフルで、良くも悪くも多彩(多分その筋の人たちからしたら軟派)なものだと思うが、むしろその多彩さが私には良かった。オフェンシブなアタックチューンから感傷的なバラードもの、未来的エレクトロ、直近作では「世界初のインダストリアルオペラ(YOW-ROW談)」まで、鮮やかなノイズでコーティングする剛士の作風が一番好きだ。それでいてどこまでいっても宿っているパンク志向も良い。

 

先にソシャゲなどへの楽曲提供もやっているとも述べたが、実際のところサイバーパンクでポストアポカリプス的な世界観のゲームになると、ゲーム中のBGMが後期MADみたいな作品が多いような印象がある(しかも大陸圏発に多いような)。それらのルーツ元が剛士なのかは分からないが、逆に剛士の方がそちら方面にも顔を出しているのを考えると、妙に二次元作品のBGM界隈にまで影響を及ぼしているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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LUNA SEA

 

BUCK-TICKと並ぶ筆者の最大フェイバリット。分厚いベースと性急かつパワフルなドラムの上にアルペジオとカッティングのギターが空間を象り、そして慟哭のボーカルがドラマを仕立てる。マクロなところでの「ヴィジュアル系音楽」の方向性を決定づけたというか、膨大なフォロワーの潮流を生み出したバンド。

 

LUNA SEAとは何ぞや? と書き出そうと思うと、私の中では「とにかくバンド漫画からそのまま飛び出てきたような伝説」だ。パンクロックがひたすらに好きな不良少年と、ナイーヴそうな美女顔不良少年の下に、スパルタ音楽家庭育ちの殿様と、家が能をやっているなどというお祭りドラマーが集い、誰よりも自由で孤独で捉えられないがマイクを握らせたら最強のボーカリストが集い、リーダーを立てることなく全員がイニシアチブをとり、ばらっばらの音楽趣向をぶつけ合い、後に新たなジャンルと称されるような音楽を生み、多くの語り継がれるライヴを敢行し、日本のメジャー音楽史を決定づけた。この時点で漫画だ。

しかし、そんなLUNA SEAに筆者が出会った時には彼らは絶賛終幕(解散)中という、文字通り語り継がれる過去だけの存在であった。当時はLUNA SEAの復活なんてありえないだろうという空気だったし、「漫画」はもう「最終回」を迎えたものだった。しかし、LUNA SEAはかつて以上のクオリティを咆哮しながら復活し、自身が築いたシーンを総括するような特大フェスを繰り広げ、ストーンズU2の音楽プロデューサー・Steve Lillywhiteに大いに認められて共同制作を組み、RYUICHIは二度の手術から尚もアリーナ会場をその歌声で染めつくし、今なお暴れまわっている。「最終回」は何度も更新され遠のいていったのである。「どんな物語も、生きた人間の豊かさには勝てない」と何をおいてもLUNA SEAが教えてくれている気がする。

 

もう一つLUNA SEAを語るうえで触れておきたいのが、現状彼らこそが「最も何を起こすか分からない大御所バンド」となったことだろう。長く続けていくうえで活動がルーティン化──勿論それを維持しているだけで十分称賛されるべきな上で──したり、あるいは活動が難しくなっていくバンドが多いなかで、LUNA SEAこそがやれ大型フェスだの突然の鹿鳴館ライブハウスだのかつての名盤リビルドだのと「次は何をやるんだ!?」という驚異のムーヴを継続し続けている。「何をしでかすかは分からないが、絶対に私達の前に現れてくれる」バンドであり続けている。

私達は、これからもLUNA SEAから目を離すことができない。

 

LUNA SEAという “生き物” への話に割きすぎて音楽の話をする幅が極端になくなってしまったが、『RAIN』や『Ray』、REBOOT後なら『BLACK AND BLUE』みたいな曲が特に好みです。そして、『LOVELESS』。

 

 

こちらもある程度メンバーのソロワークも追っていますが割愛します。

 

 

 

 

 

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Tourbillon

 

こちらは上げていくという。2005年のLUNA SEA終幕時代にRYUICHIINORANがH.Hayamaと共に始動したグループ。そのシックでブルージーながら熱さと品のよさとジャンルレスっぽい雰囲気をもった音楽にはLUNA SEAにも勝るとも劣らない魅力があった。

筆者は世代性もあって、十代の頃ならどのLUNA SEAのアルバムよりも『HEAVEN』の愛聴回数の方が多かったと思う。ナイーヴで熟した落ち着きをみせつつも鋭利に尖っている感触は、初期LUNA SEAのようなゴシックテイストよりも筆者にダイレクトに響いたものがあった。と言ってもそれはLUNA SEAのイメージと相反するものではなく、むしろ『another side of SINGLES Ⅱ』辺りの発展型とも思える音楽だったのだが。

……今年晴れて十年ぶりのライヴ展開を行ったが、SNS上のV系リスナーみたいなところからはあまり反応がなかった気がして「ああ、この辺が分かれ目なのかなあ」などと思ったりも (笑)。筆者は所謂V系ロック的なところよりもこういう楽曲の方が好きなのでした(思えばOLOD〜極東頃のBUCK-TICKに近い感触もあったかもなとも思ったり)。

 

 

 

 

 

 

 

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THE YELLOW MONKEY

 

「日本の90年代グラムロック」という言葉がそのまま相応しい音楽と、三島由紀夫の影響を感じさせる世界観などを持ち味に発しているバンド。V系ブーム頃にはそのムーブメントに踵を返していたそうで、だからこそ「ヴィジュアル系ではないけど、派手な佇まいに艶っぽい歌でロックの詩を叫んでいた」独自で硬派なスタンスが魅力を放つ。

で、筆者はと言うと、なんともな「あるある話」で存在は知っていたけど長らく聴いてはいなかった。10代からの友人が信仰レベルでイエモンを敬愛していたのだ。別にだから気にくわなかったとか、その友人がキモかったとかいう話では (笑) ないのだが、そういう時ってこちらは距離を開けておくみたいな風習があるじゃないですか。あったんです。なんかしれっと聴くことがイコール友人の部屋に勝手に上がり込んじゃってるみたいな。その友達も話には出しても強引に薦めるようなことはしてこなかったし。まあそんなこんなで、私もここ数年になってようやくイエモンを解禁したという話でした (笑)。

やはりイエモン・吉井さんも病いとの戦いを強いられているとのことですが、力強く美しい復帰を願っています。

 

 

 

 

 

 

 

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HYDE

 

出身バンドであるラルクから挙げていくべきかなとは思ったが、今現在はソロの方で中心的に活動されていることや、筆者のファーストコンタクトかつ愛聴量が多いソロの方から。

ヨーロッパ的なアンビエント作品『ROENTGEN』からソロスタートし、その後は一転してハード〜ラウドなロックチューンを連打するスタイルへ。筆者が初めてHYDEを認知したのは2nd期のシングル『HELLO』のCMで、もうそのままなけなしの小遣いをやりくりしてソロ作品からラルクのアルバムまで全部揃えた記憶がある。中学生の節約術、すごい。

大御所は大御所として己の道を歩んでいくミュージシャンが多いなかで、最もフェスに出演を重ねたり後輩達とのコラボセッションをしたり海外活動にも取り組んでいたりといった姿が目立つのはやはりHYDEかなと思う。今や国内のレジェンド・ロックスターとなった彼が、それでもなお挑戦し続け、そして次の世代の腕を引こうという志がストレートに伝わってくるような活動に挑み続けている。

「ROENTGEN2」どうなったんだよとか結局THE LAST ROCKSTARSはどういうプランなのかとかそしてラルクはとかも色々あるのですが、筆者の基本は「HYDEさんがやりたい音楽をやっていればそれでオッケーです」。

 

 

 

 

 

 

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◆ L'Arc~en~Ciel

 

異邦的な情景世界、ストレートなロックサウンドに耽美な闇、打ち込みからポップチューンまで。ある種ポップスの最大公約数とでも言ったらいいのか。

過去の作品ほど神格化されている印象もあるが、筆者的にはREAL〜AWAKEくらいの頃の方が音がしっかりしていて好きだったりもして、まああまり私の口から語ることもないのかなとも。

ともあれ私がラルク聴きたいな、と思う時はやっぱり「良いポップスが聴きたい」という時だなという印象がある。勿論それはロックバンドとしての否定だとかではなく、ラルクの曲群を聴けば色とりどりかつ心地のよい “景色” が広がっているから。その懐の広さこそがやはりラルクの超強力な武器なのだろう。

来年にはレアな楽曲も披露するツアーを開始するらしい。例え気難しい方舟でも、今ここで黙っているL'Arc~en~Cielではないだろう。

 

 

 

 

 

 

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yukihiro

 

ZI:KILLの『CLOSE DANCE』期メンバーとして活動し、脱退後同様にMADを早期脱退した室姫深とユニットを結成。その後主要メンバーとしてDIE IN CRIESに合流し5年間に渡って活動。しばらく後にラルクに加入し、活動休止期間にソロ・プロジェクトacid androidを始動。最近はディルやムック、ノベンバのメンバー達とPetit Brabanconを開始。とかくフットワークの軽い大物である(普通にLUNA SEAからも先輩の人なんだよな)。

筆者はと言うと、acid androidは(歌声に馴染めなくて)あまり聴けていないのだが、何かと肝心な時にyukihiroの名前が目に入ってくるという印象が強い。睡蓮のトラックで叩いていたり、新生SCHAFTのバンドメンバーに参加したり、後にフェイバリットになるバンド達(リリーズやノベンバ)が何かとyukihiroのお世話になったり、あと妙なところだと『デビル・メイ・クライ』のコンポーサーと親交があったり。精力的かつ上下やジャンルを問わない、しかし一本ど太い軸が通った活動を広げている。きっとこれからも、私が「これは美味しい」と思ったところに当然のようにyukihiroが現れるのだろう。

 

 

 

しかしこれで、LUNA SEASOFT BALLETBUCK-TICKをはじめ、MAD、イエモンラルク、そしてかろうじてだがDIE IN CRIESと、かの「LSB」の出席バンドが全組揃ってしまった。狙ってそうしたつもりもなかったのだけども。うーん幻のミュージシャン主催ライヴイベント恐ろしや。

 

 

 

 

 

 


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NARASAKI  /  COALTAR OF THE DEEPERS

 

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインスラッシュメタルをやっているみたいな感じ」という某所で見た評がしっくりくるところに、更にいろんなジャンルをブレンドしているようなディーパーズ。そのメインソングライターとしてデビューし、楽曲・リミックスの提供、アイドルやアニメへの提供、アニメ劇伴など実に多彩な活動をしているNARASAKI

筆者が初めてNARASAKIの名前を知ったのはやはり『大槻ケンヂと絶望少女達』なのだが、そこからディーパーズに辿り着くまでにはやたら時間がかかったというか、鋭いギターリフは結びついても「これ絶望少女の作曲者の人なの!?」という驚きの方が大きかった気がする。

以後もそこまで追えているとは言いきれないけれども(というか活動が縦横無尽すぎて半ば追うのは諦めているけれども)、こちらもyukihiroと同じく「これは!」と行った先でやっぱり鉢合うんだろうなあ、などと思っている。そういえばディーパーズが主題歌を担当したというアニメ映画はまだ観てないです。

 

 

 

 

 

 

 

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GLAY

 

一般的には「ヴィジュアル系ブーム」、或いは「90年代邦楽」、或いは「CDバブル時代」と言った時には必ず名前が上がるスーパーバンド。しかし一方でヴィジュアル系音楽評論家みたいな方々からはほぼ存在を無視されているに近いという印象もある悲しいバンド。別に問題を起こしたわけでもないのにあんまりなんだ。

自分は、V系的な文脈としてどうかに関わらず、キャッチーで綺麗なメロディと音像、『Winter, again』や『Missing You』に代表される情景的な表現と、ただのポップソングで終わらせないフックの効いたギターフレーズなどがやっぱりいいなあと思ったりします。99年末に解散の危機を乗り越えたというだけあってその後からの楽曲の方が大ヒット連発時代よりも芯が強い感触があって好み。

GLAYがずっとミリオンヒットしていたという時代はうっすらしか知らなくても、いやその後の(LUNA SEAラルクがいなくなった)時代にこそ周りはみんなGLAYを聴いていた。聴くしかなかった。まあもう一方のグレイも一定の人達(筆者含む)の間でCDを回し聴きされていたのだが。

そして今、周りのバンドがいろんな変遷を辿っていくなかでGLAYが当然のように仲良く活動しているのが目に入るだけでも、GLAYも頑張ってるな〜と思えたりする。これからもEXTASY出身にあるまじき優等生っぽさとその出身に違わぬタフネスさで逞しくいてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

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OBLIVION DUST

 

これぞナチュラル・グランジオルタナというか。「洋楽かと思った邦楽グループ」というのも自分の中で増えてきたけど、最初に強烈なインパクトを放っていたのはやはりオブリだったと思う。それでいて洋楽バンド方面からはあまり感じないカラフルで飽きないサウンドイメージ。オフェンシブな渇きの中にふとウェットが差し込まれる感じは後のLillies and Remainsなんかも連想させられる、いや元々近しかったのか。

個人的な思い出だが、昔友達にオブリを薦めたら曲を聴かせただけで「なんかオシャレな音楽やね」という感想をいただいたことがある。自分の中で、音楽ジャンル談義では腑に落としきれない、「こう、こういうのがイイんだよ!」というところを一つ言語化してもらえたような気がして、ずっと印象に残っている。

遅れ馳せながら昨22年に出していたミニアルバム『Shadows』を聴いてみたら、格好よすぎて動揺した。やっぱりオブリは最高だ。

 

 

 

 

 

 

 

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Plastic Tree

 

多分本格的に文章化されれば本の一冊くらいできてしまいそうなほど奇妙で厄介な位置取りのバンドだと思う。元々The Cureみたいな音楽をやりたいというところからスタートし、楽曲も先輩V系バンド達からというよりもCureやUKバンド、シューゲイザー方面などからの影響の方が色濃く、更には丁度V系バブルが終わった頃にNARASAKIの下へ「弟子入り」。UKサウンドシューゲイザーやゴシックっぽさなどを宿しながら有村竜太朗の散文的でかぼそい歌モノロックに仕上げるという何とも絶妙なバンドになってしまった。

「ヴィジュアルシーンの中にも居場所がなかった」と語りつつも、その音楽は常に行き場のない夢幻さと歌メロに反した攻撃的なサウンドに包まれていた。V系にもあまりないサウンドでありながら、だからこそ逆説的に「何故彼らのような音楽がV系シーンに流れ着くのか」という実証にもなっていたような気もする。でも、彼らのトリビュートアルバムに集まったフォロワー達は全然シーンに統一感がなかった。

彼らもまた25年以上休むことなく活動し続け変化し続け、改めて「どこが好きか」と問われてもやはり一言でまとめきれないのだけれども。とりあえずコロナ禍に突入してから3年半近く、活動のリソースを音源制作ではなくライヴ活動の継続にこそ全振りしていった彼らのバンド展開ぶりは、やはりただものではない “異質さ” だった。

 

 

 

 

 

 

 

この流れならDIR EN GREYなどの後続V系バンドに進んでいくべきなんだろうなと思いつつも、バンドやメンバーさん方への愛着はありながらも音楽的にはあまり馴染めていないし、それなのに無理矢理何かを書こうとする方が失礼じゃないかとも思ったので……。では90年代末期から00年代初頭にかけてで自分の好きなミュージシャンは? と振り返ってみると──

 

 

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Cocco

 

hide曰く「中島みゆき・ミーツ・ニルヴァーナ」。そのhideが大絶賛しまくっていたのは結構有名。90年代末から00年代初頭を鮮烈に駆け抜け、その後数年間の活動休止。ゴリゴリのヘヴィロックサウンドをバックにしつつ、しかもそこが話題の中心にはならないほどに覇気に満ちた詩と歌唱。

そんなCoccoも活動再開直後は憑き物が落ちたように優しい歌になっていたなあ、などという記憶で彼女の曲については止まってしまっていたのだが、では最新のアルバムはと覗くと──流石だった。

かつてのような強い言葉を振り回したりはしないが、歌声の霊力で圧倒するかのような、と言ってしまうと観念的過ぎるか。単純に言えばボーカル力の向上なのかもしれないが、あのCoccoの歌声がより強い威光をもって闇に降るのがその音で表現されるかのようだった。何より、この病みそうな世界であのCoccoがただ単純に歌っているわけもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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植松伸夫

 

ご存知、FINAL FANTASYゲーム音楽の方。ここまでとは随分違う方面からの紹介になってしまうが、このページの思念として挙げないわけにはいかないなと感じたので。ゲーム音楽、いやテレビゲームというものが発展していくその時代の巨大な担い手みたいなお方。

音楽的には、ファミコン時代から十分な格式高さを感じさせていたオーケストラ的旋律とポップ趣向、北欧民族音楽趣味に、そしてプログレ偏愛などを派手に振り回しながらも「あくまでゲームのBGMとして手がける」ことを形にしていった人だと思う。たまに「植松の曲って周りを見渡せば普通じゃない?」みたいな言葉を見かけるのだが、いや逆に「植松がこのジャンルの王道になっていった」のだろう(そして普通の作曲家は『ティナのテーマ』も『The Extreme』も『片翼の天使』も何なら『チョコボのテーマ』も作れないだろう)。

今年はしばらくFFを遊んでいたこともあって改めて植松の音楽を見つめ直す機会にもなった。特にお気に入りのサントラ作品は、様々な音楽ジャンルと『The Extreme』という魔術的傑作トラックが飛び出すFF8、少年時代の筆者にファンタジー音楽の洗礼を及ぼした『PS版FF1』、仄暗くオペラチックな世界観と溌剌とした若い勢いが完成的なFF6、そして『悠久の風伝説』等に収録されている妖しい美曲『Roaming sheep』や、カセットの枠から解き放たれたように好き勝手な音楽を鳴らしていたCeltic Moon』『Dear Friends』らが特に音楽的に好きだなと(多いわ)思います。

2021年作『FANTASIAN』でゲームミュージックのフル制作は最後にするとコメントし、その後は気ままな音楽活動を謳歌しているような趣があるが、しかし彼がFFで手がけた音楽は今もアレンジを変え出どころを変えシリーズの中で流れ続けている。「奏でられ続けていく音楽」という話の、一つの先例のようでもある。

 

 

 

ゲーム音楽の方面に行くなら他の面々も挙げていくべきでは?というのも最もなのだが、それこそキリがなくなるしやはり植松が自分の中で大きいというのもあって、彼一人にまとめた。同じくらい筆者にとって絶対的なコンポーサーとして、『MOTHER1,2』らの田中宏和氏と『スーパードンキーコングシリーズ』のDavid Wise氏は名前だけでもここに挙げさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

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土屋昌巳

 

70年代末に一風堂を結成、80年代中にはソロワークを行いつつJAPANのサポートメンバーにも参加……と全然90年代より以前から活躍されている、国内の耽美・アヴァンギャルドなロック界隈の偉人。本来ならこの方を挙げるなら他の80年代以前からの諸氏も取り上げるべきではあるだろう。それでも土屋さんを挙げさせてもらったのは、彼は90年代を駆け抜けたアーティスト達の、偉大な面倒見役で共走者になってくれていたお方だ、という感覚が強いからだと思う。LUNA SEAをとてもよく面倒見てくれ、SUGIZOソロやTourbillonにも参加し、櫻井敦司を自身のアルバムに参加させ、GLAY達のプロデュースも手掛け、そして今も何かにつき彼らと顔や音を合わせてくれている。例えばMORRIEさんなどはその背中で先導していったような印象が強いが、土屋さんは「若手たちと一緒にいて音を合わせてくれる大師匠」のような印象のあるお方だった。

だからこそ、DER ZIBET・ISSAYと櫻井敦司という親交の深かったであろう耽美の巨星が続けて去ってしまった今、どうか土屋さんは2人たちの分も長生きしてくれと思う。美しきロックの音色は、人々の心の陰に現れる深い森のように永遠にざわめいていてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拙い文章ではありますが、私の気持ちを吐き出し整理する思いも込めて、これを記しました。

これを書いている最中にも耳馴染みのあるミュージシャンが去ってゆき、心潰されるような想いでした。誰も彼もを挙げるようなことは出来ませんが、ここに挙げたバンド以外でもたくさんのバンドやミュージシャンが良い音楽を作っていたことにも改めて触れておきます。

邦楽だけにまとめたのは海外のメジャー音楽を体系的に聴けてもいないし、偏食かつまともな漁り方をしていないからですが、やはりマイブラMassive Attackのメンバーたちにも元気でいてほしいですね。インダストリアル方面は……何ならSKOLDが一番好きかな。

一応は「90年代ヴィジュアル系周辺」と呼ばれるシーン(というかLSB組+NARASAKI組)が軸を握る形になったと思います。その後00年代に入ると筆者は(それこそ直撃世代のはずなのに)あまりその時代に若手ミュージシャンを追えていた感覚がなく……かろうじて挙げられるならどの辺りだったかなと思い返してみると、端的にはLOVE PSYCHEDELICOとFACTでした。ジャンル性を感じない(あと、同郷で何かと感情が深いYUI meets FLOWER FLOWER)後年になってから聴き始めたグループを含めるなら、Cube JuiceやLillies and Remains、9mm Parabellum Bullet……と一応は系譜っぽくなっていきますね。

勿論、その00年代にもBUCK-TICKラルク達は活動し、LUNA SEAは復活を遂げ、2010年を迎える前には筆者は大槻ケンヂと絶望少女達に盛り上がっていたような気がします。私は今よりまだまだ少ない視聴遍歴で好みの音楽を探しているさなかだったし、そして目の前の彼らは当時から「終わりなき最強のバンドマンたち」だった。そしてそれは、今現在、そしてこれからだってそうだと思う。

 

 

最大限の敬愛を込めて。

 

 

 

 

 

一応、飛んで2023年。