炎〜あなたがここにいてほしい

 

 

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「古典プログレを聴こうシーズン」ということでPink Floydを83年頃作まで聴きました。

えっ、世界で3番目に売れた音楽アルバムのバンドをちゃんと聴いたことがなかった!? いやあ『狂気(The Dark Side Of The Moon)』は流石に何度か聴いたことくらいはあったのですが、そのくらいで。

 

10年ちょっと前に一回聴いてみた時は「実験的っぽい感じがウリなのかな」とか思った程度だったのですが、今聴くと「プログレッシヴ・ロック」らしいごちゃごちゃして長尺なイメージというよりは虚ろで空白的でアンビエントっぽいな、とか思いながら。1975年作『炎〜あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)』までは特にそんな印象でした。

ひとまず1983年の『The Final Cut』まで追いました。バンドの経緯などを見るとその後までちゃんと聴いた方がいいのかなとも思いますが、まあ世に語られるPink Floydは一旦ここが節目だろうということで。

 

 

 

……

 

 

初心者すぎるのでおそらく常識だろうことも知らなかったのですが、Pink Floydにはデビュー2年目まで在籍して中核を握っていたカリスマ的人物がいたとのこと。

 

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Syd Barrett

 

作詞、作曲、ギター、ヴォーカルを担当して、グループを牽引する。1965年頃からロンドンのアンダーグランド界でその名を広め、多くのアーティストとも親交を持つ。その一方で、この頃から過剰なドラッグ摂取の傾向があった。

…薬物中毒および精神病で体調を崩しバンドを脱退。1968年以降はソロとして活動するが、1972年より後はミュージシャンとしては引退状態になった。共感覚であることが独特の感性を持つ作品として表れ、ピンク・フロイドはもちろんデヴィッド・ボウイを始め数多くのアーティストに大きな影響を与える。

…70年代半ばからは、完全に実家に引き篭もってしまう。以後、精神病に苦しみながら、かつての作品からの印税収入と生活援助を糧に隠居生活を送った。晩年になっても、パパラッチなどにその変わり果てた姿を捉えられることが何度かあったが、ミュージシャンとして復帰することはなかった。

…2006年7月7日、ケンブリッジの自宅ですい臓がんのため60歳で死去。

Wikipediaより)

 

Pink Floydは彼が脱退してから全世界的大ヒットを飛ばしていく形になっていくが、バンドメンバーはバレットのソロワークでの復帰に助力したり、在籍終盤期にはまさにご家族とも一緒になって彼をサポートしたりとしていたという。看板的代表作になっていく『狂気』も『炎』も、危機的状況のバレットと過ごした経験が作品テーマの根幹に関わっているという話(それは、たとえドラマティックに語られなくたって作品表現に影響して当然だろうとも思います)。

 

 

──いろんなことを考えてしまうエピソードでした。

あの名高いPink Floydは、中心的カリスマがいなくなってから残されたメンバーで築き上げたバンド史だったのだということ。ワンマン的カリスマが離脱して質素になってしまったバンドというのはごまんといるかもしれないけれど、Pink Floydもまたその危機に瀕しながらも成長とプランを重ねて世界的トップバンドにまで上り詰めたと。そしてその過程には絶対にメンバーに宿るバレットの影とそれ故に生まれた音楽表現があったのだという。

 

 

そんなエピソードゆえかそれこそバレットの才能ゆえか、在籍時代の1st.『The Piper at the Gates of Dawn』もまた聴いていると埋没してしまうものがあります。

Matilda Mother

Matilda Mother

「夜明けの口笛吹き」と言えばブギーポップ。いやエコーズもだけど。

 

 

 

また『炎』の制作時についてはこのようなエピソードも見かけました。

 

アルバムのレコーディング中、シド・バレット本人が何の前触れもなくスタジオに姿を現したという逸話がある。ニック・メイソン自身の回顧録Inside Out: A Personal History of Pink Floydによるとクレイジー・ダイアモンドのミキシングも終盤といった頃に、でっぷりと肥えた禿頭かつ眉毛も剃り落したシド・バレットがビニール袋を持ってスタジオに入ってきたそうで、作業中であったウォーターズは初めは誰だか分からなかったという。ライトも誰だか分からずウォーターズの友人かと勘違いしており、ギルモアはEMIのスタッフかと思っていたそうで、メイソンも誰だかわからずバレットだと気づいた時にはショックを受けたという。またメイソンは回顧録にて、その当時のバレットの雰囲気を「散漫で支離滅裂だった」と綴っている。その場にいたストーム・ソーガソンは後に「何人かが泣いていた。彼(バレット)はスタジオ内を歩き回ったり我々と話をしたりしていたが、彼は実際にはそこにいなかった。」と述懐している。

伝えられるところによれば、バンドのマネージャーであったアンドリュー・キングがバレットに対してなぜそんなに太ってしまったのかと尋ねた際に、ウォーターズは変わり果てたバレットの姿を見て涙を流したという。バレットは自宅に巨大な冷蔵庫を設置してあると言い、毎日のようにポーク・チョップを平らげていた。バレットはまた、どのパートのギターを弾こうかと尋ねてきたそうだが、クレイジー・ダイアモンドのミックスを聴いていた様子から察するに歌詞の内容が彼の窮状に言及したものであるとは気づかなかったそうである。

バレットがスタジオを訪れたその日にギルモアは前妻とEMIの食堂で結婚式を挙げておりバレットも式に参加したものの、別れも告げずに帰宅したという。その後メンバー全員は2006年のバレットの死まで彼と会うことはなかった。

Wikipedia

 

 

それらの話に触れながらアルバム『炎』の身体が燃えている男と向き合って握手しているジャケット画を見ていると、胸にこみ上げてくるものがある……

──と美談っぽく語る形になってしまいますが、でももしかしたらそれは一面的な見え方なのかもしれない。語られ方に幅はあれどバレットは音楽に復帰することなく、またご家族からのストップもあってメンバーがその後彼とついぞ会うことはなかったというのも事実だという。バレットの実妹からはメディアなどで語られるバレットの病状は過度に強調されているといった言葉もあったそうで(おそらく後世に残す価値もないほど好き勝手書かれていたんじゃないか)、当人たちのことは当人たちしか知ることはないだろう。

何より、メンバーの口からその後バレットについて話す語り口はどれも美しい思い出などではなく、後悔や無念を隠すことなく吐露するような言葉だ。

 

ドキュメンタリーの最後の方で、ギルモア(Gt.)はバレットとの個人的なつながりを振り返り、こう話しています。

「僕らはみんなとても若かったけれど、できる限りのことはしたつもりだ。でも、ひとつふたつ後悔していることがある。彼の家族がそれを思いとどまらせていたが、僕は彼に会いに行ったことはなかったし、彼の家に行ってドアをノックしたこともなかったのを後悔している。シドも僕も、彼の家にお茶を飲みに行く人が1人か2人いれば、何か得るものがあったかもしれないと思うんだ」

https://amass.jp/168583/

 

 

 

──しかし、それでも残されたメンバーがバレットという存在ととことん向きあって音楽に表していったからこそ、『炎』などの音楽アルバムはあったのだろう。彼らの言葉一つ一つから伝わる真摯な姿勢にそう思わされる。その時に出来たこと、出来なかったかもしれないことも含めて、それはメンバーが彼と向き合い続けた軌跡であり、想いであり、作品表現であり、道別れても彼と “手を繋いでいようと” したのだと思いたい。

 

 

 

 

ふと、David Bowieのアルバム『ジギー・スターダスト』のラストナンバー『Rock'n'Roll Suicide』を初めて聴いた時の感覚を思い出す。あの曲は(私の解釈が正しいのかは分からないが)、“死ぬ寸前の男が、最後の最後に誰かに向かって「あなたは美しい、美しいんだ」と切実に訴えるように叫ぶような歌” だったと思う。それは “人への肯定” で、“生命活動的な欲求” で、そして “創作活動における一つの核心” であるかのようだった。壊れゆくジギーの最後に残った魂だった。最後の祈りのような誰かへの肯定が、名盤を永遠にした。

在りし時代のPink Floydもまた、そういう作品を作っていってたんじゃないかと思う。

 

 

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まあ、もう少しいろいろと聴いてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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よき誕生日を。

これからの彼らに、最大限の信頼と期待を。